帰りの車中、朱莉は運転しながら姫宮のことを考えていた。「一体どういうことなんだろう? 姫宮さんは翔先輩の完全な味方だと思っていたけど、やけに否定的な言い方をしているように聞こえたのは、私の気のせい……?」思わず口に出して呟いてしまった。 **** その夜――朱莉がネイビーを膝に抱えながら、ネット配信映画を観ていた時、朱莉の個人用スマホが着信を知らせた。「ひょっとして翔先輩かな?」しかし、朱莉はその着信相手を見て凍り付いた。それは京極からの電話だったのである。実はあの日、安西の事務所で京極と姫宮が並んで歩いている画像を見せられたその夜、京極から電話がかかって来たのだ。しかし、京極と姫宮が一緒に写っているあの写真が気がかりで、京極から何か決定的な話を聞かされるのでは無いかと思うと、それが怖くて、咄嗟に電話口で伝えたのだ。今、通信教育のレポート提出に追われていて、忙しいのでしばらくは電話もメッセージも遠慮してもらいたいと……。それを告げた時の、電話越しから聞こえる悲し気な声が朱莉の心を揺さぶった。しかし……それでも朱莉は京極と話をするのが怖くて頑なに連絡を拒んだのである。それがよりにもよって、翔と姫宮が沖縄へやって来た日に電話がかかってくるなんて。あまりにも偶然が重なり過ぎて、再び朱莉は疑心暗鬼に陥ってしまった。(お願い……! 早く……電話が切れて……!)朱莉は耳を塞いだ。(ごめんなさい、京極さん。私……まだ貴方の電話に出る勇気が……!)暫く鳴り響いたスマホはやがて静かになった。「よ、良かった……」朱莉は安堵の溜息をついたが、時を置かずして再びスマホが鳴り響いた。(京極さん……)考えてみれば、京極は忙しい身だ。それなのにこうして朱莉に電話をかけてきている。(私の為に京極さんの貴重な時間を奪う訳にはいかない……)朱莉は観念して、電話をタップした。「はい、もしもし……」『朱莉さん!?』電話に出た途端、京極の切羽詰まった声が受話器越しから聞こえてきた。「はい、朱莉です。どうも……ご無沙汰しておりました」すると、京極の安堵したため息が聞こえてきた。『良かった……中々電話に出てくれなかったからてっきり何かあったのでは無いかと思って心配しました。でも何も無かったんですね? 安心しましたよ』その声は本当に朱莉の身を案じているよ
翌朝――「え? アメリカですか? アメリカで明日香さんは出産するんですか?」朱莉は電話で話をしている。その会話の相手は他でも無い、姫宮だった。『はい。アメリカには私の知り合いの産婦人科医がいます。また彼女は代理出産も手掛けています。私の方から彼女にはよく説明を行いました。このまま明日香さんには出産までアメリカに住んでいただくことになりました』「ええっ!? そ、それは本当ですか!?」あまりにもスケールの大きな話になり、朱莉は今更ながら怖くなってきた。「あ、あのそれって法律に触れるとか……?」『ご安心下さい。書類は違法にならないように完璧に仕上げてあります。ですが、もし万一のことがあったとしても絶対に朱莉さんにだけは被害が及ばないように念入りに手を打ってありますので何も心配することはございません』電話口の姫宮はきっぱり言った。「わ、私も……アメリカに行ったほうがいいんでしょうか……?」朱莉は声を震わせながら尋ねた。(順調にいけば、明日香さんが赤ちゃんを産むのは後4カ月後……それまで私は言葉が通じない国へ……?)『いいえ、朱莉さんはアメリカには行かなくて大丈夫です。というか……むしろ来ない方が良いかと。このまま沖縄に残って下さい。明日香さんがアメリカから戻って来る迄は』その話し方は有無を言わさぬものだった。「あ、あの……明日香さんはお1人でアメリカに行くのですか?」『行き帰りは私と副社長が付き添います。アメリカで明日香さんが住む家も借りましたし、現地スタッフと家政婦も雇ってありますので明日香さんを心配する必要は一切ございません』「そうですか……」(すごい……もうそこまで手を回していたなんて。翔先輩が優秀な人物と言っていただけのことはあるな……)『こちらでも色々と準備がありますので、沖縄を出発するのは3日後になります。それと、明日香さんの身の回りのお世話の必要はもうございませんので、朱莉さんはどうぞ今迄通りの生活をなさって下さい。定期報告はメールでいたします』「はい……分かりました……」どこまでも淡々と話す姫宮に朱莉はすっかり押されていた。『それでは失礼いたします』電話を切ろうとする姫宮に朱莉は慌てて声をかけた。「あ、あのっ!」『はい、何でしょうか?』「この話……アメリカに行く話、明日香さんは納得されているのでしょうか?
—―3日後、午前9時 朱莉は明日香と翔、そして姫宮の見送りに那覇空港に来ていた。「朱莉さん。今迄色々世話になったね。次に会うのは明日香が出産後だから数か月先になるけど、また日本に帰国したらその時はまたよろしく頼むよ」翔が笑みを浮かべて朱莉に言う。「はい、分かりました」「朱莉さん。色々ありがとう。貴女がいてくれて本当に助かったわ」明日香は、大分目立ってきたお腹をかかえるように立っていた。「明日香さん……道中、お気をつけて」朱莉は心配そうに声をかけると、代わりに姫宮が答えた。「大丈夫です。明日香さんの体調を考え、ファーストクラスのシートを取りました」「そうですか。なら安心ですね」「だったらいいけどね。途中で産気づかなきゃいいけど」明日香の言葉に翔はギョッとした顔をする。「あ、明日香! 縁起でもないことを言わないでくれ」「何よ、ほんの冗談に決まっているでしょう?」明日香はツンとした顔になる。「このまま直接アメリカへ行くのですか?」朱莉が誰ともなしに質問すると明日香が答えた。「まさか! このままなんか行かないわよ。一度六本木に戻って色々準備しなくちゃ。そう言えば翔、熱帯魚はどうなったのかしら?」「ああ、あれは億ションに寄付したんだ。あの建物内の何処かに置いてくれるように頼んだよ」「そうね……。仕方ないわね」その時、空港内にアナウンスが響き渡った。羽田空港行の便に関するアナウンスである。それを聞いた姫宮が言った。「それでは、副社長、明日香さん。そろそろ行きましょう」そして朱莉を向くと小声で囁いた。「朱莉さん。待っていて下さいね」「え?」朱莉は今の姫宮の話し方に反応した。『待っていて下さいね』(姫宮さん……まるでその口ぶりは……)「朱莉さん、どうかしたの?」突然明日香に声をかけられて朱莉はハッとなり、慌てて首を振った。「い、いえ。何でもありません」そしてそんな朱莉の姿を意味深な眼つきで見つめる姫宮。その目は何処かで見たことがあるような目にも見えてきた。(姫宮さん……?)「それじゃ、皆行こうか?」翔が明日香と姫宮に声をかける。「朱莉さん。元気でね。予定通りなら10月にまた会いましょう」明日香が朱莉に言う。「はい、お待ちしています」そして、3人は朱莉に見送られ、一路羽田空港へと向かった――朱莉は3人を
「いやあ~本当に偶然ですね」安西が朱莉の前でアイスコーヒーに手を伸ばした。「ええ……驚きました。まさか沖縄にいらしていたなんて」朱莉はアイスカフェオレを飲みながら、チラリと安西の隣に座る茶髪に染めた青年を見る。安西の隣に座る青年は安西航(わたる)。安西の息子で22歳、彼の事務所でスタッフとして働いているらしい。今回、翔と姫宮の関係を調べてくれたのも彼である。「え~と……航君? この度は色々知らベて頂いてありがとうございます」「ウッ! ゴホッ!」突然航は咳き込んだ。「あ、あの大丈夫ですか?」朱莉は驚いて声をかける。「何ですか……。いきなり君付けなんて」ジロリと航は朱莉を見た。「あ……ご、ごめんなさい。年下だったのでつい」「まあまあ、航。別にいいじゃないか。君付けで呼ばれたって。いやあ~しかし本当に沖縄は暑い所なんですね~」安西の言葉に朱莉は頷く。「そうですね。東京も暑いですが、沖縄は東京とはまた違った暑さですよね。湿度が高いせいでしょうか?」「成程……確かに外の気温を現す電光掲示板に湿度が表示されていたのですが、気温は東京の方が高いのに、沖縄の湿度が83%になっていたので驚きですよ!」安西は大袈裟な身振り手振りで説明する。「あの、それで今回は何故沖縄に? もしかして親子で旅行ですか?」朱莉が尋ねると、安西は頭を掻いた。「いや〜旅行だったら……良かったんですけどね……」「成人した男が父親と2人で旅行に行くはず無いでしょう?」ブスッとした様子で航が言う。「それじゃお仕事ですか。大変ですね。東京からわざわざ沖縄までなんて」「ええ、まあ……。っとすみません。これ以上のことは個人情報なのでお話し出来なくて。一応調査期間は3週間なんですよ。私は東京の事務所に戻らなければならないので、息子の航を派遣したんです。今日沖縄に着いたばかりなんですよ」「それは大変でしたね。それで安西さんはいつ東京に戻られるのですか?」朱莉は東京に戻る時は安西の見送りに来ようと考えていた。「それが、折角沖縄に来たのでゆっくり滞在したいのが本音ですが……明日には東京へ戻らないとならないんです」残念そうな顔で安西が言う。「そうなんですね。何時の便ですか? 是非お見送りさせて下さい」朱莉が言うと、安西は慌てた。「いえいえ、何を仰っているんですか? 見
「きっと、朱莉さんのお陰ですよ。貴女には本当に悪いことをしてしまったのに、色々親切にして貰って感謝していると何度も言ってましたよ」「そうですか……明日香さんが……」安西の言葉に朱莉は思わず頬を染めて、俯いた。すると航が言う。「貴女って変わった人ですよね? 話は聞いたけど相当酷いことをあの女にされてきたじゃないですか?それなのに憎むどころか親切にして。しかも彼女の話を今も嬉しそうに聞いていたし」「確かにそうかもしれないけれど、私は誰かといがみ合いたくはないんです。出来れば皆と仲良くしていきたいと思っているんです」朱莉の答えを航はつまらなそうに聞いている。「あっと……いけない。そろそろホテルに戻らないと」不意に安西が腕時計を見た。「どちらのホテルですか? お送りしますよ?」朱莉が言うと安西は首を振った。「いえいえ。そんなご迷惑は……」しかし、航は言う。「いいじゃないか、送って貰えば」「航! お前と言う奴は……!」そんな2人を見て、朱莉はクスリと笑った。「遠慮なさらないで下さい。東京では色々とお世話になったんですから」こうして渋る安西はようやく納得し、朱莉は2人を連れて車で送ることになった。**** 朱莉の車に乗り込んだ安西は言った。「おお、これは素敵な車ですね。女性らしさを感じる。買って間もないんですか?」「まだ2か月程ですね。免許を取ってすぐに車を買ったので」朱莉が答えると航が驚いた。「ええ!? な、何だって!? それじゃまだ運転歴が浅いのか!? おい、大丈夫なのか?」「大丈夫ですよ。車を買ってからは毎日乗ってるんですから。車庫入れだってばっちりです。それより気付かなかったんですか? 初心者マーク貼ってあることに」確かに朱莉の車には前後に初心者マークが貼ってある。「うっ! ほ、本当だ……。気が付かなかった……。お、俺としたことが……」何故か大袈裟に悔しがる航。その姿に朱莉は思わずクスクス笑ってしまった。「どうしたんですか? 朱莉さん」突然笑い出した朱莉を不思議に思い、安西は声をかけた。「い、いえ……。初心者マークを見落とすのに、興信所の方なんだと思うと、つ、つい……」「な……! ひょっとして……俺を馬鹿にしてます?」航の恨めしそうな声に朱莉は慌てて謝罪した。「す、すみません。そんなつもりじゃ……ただ可愛
翌朝――朱莉は昨日約束した通り、安西親子の宿泊するホテルに迎えにやって来ていた。駐車場で待っていると安西と航がこちらへ向かってくる姿が見えた。「おはようございます、安西さん。航君」笑顔で2人を出迎える朱莉。「朱莉さん、おはようございます。本当にこんな朝早くから申し訳ございません」「おはよう」航も朱莉に挨拶する。その時、航は大きなキャリーケースを手にしていたが、この時の朱莉はそれを特に気にも留めることは無かった。「それでは空港へ向かいましょうか? どうぞお乗りください」朱莉は2人を乗せると那覇空港へ出発した――****「いや〜本当に助かりましたよ。朱莉さん」空港に着くと安西は何度も何度も朱莉に頭を下げてきた。「そんな、顔を上げて下さい。私から言い出したことなのですから」朱莉は困り顔で言うと、アナウンスが流れた。それは羽田行きの便が到着した知らせである。「ほら、父さん。もう行けよ」航が安西に声をかけた。「ああ、そうだな。こんな所でいつまでも朱莉さんをお引止めするわけにもいかないし。それじゃ、航。今日から3週間しっかり頼んだぞ」「言われなくても分かってるよ。これでもプロのつもりだからな」「朱莉さん。それではこれで失礼しますね」「はい、どうぞお元気で」朱莉は笑顔で安西に別れの挨拶をすると、彼は背を向けて歩き去って行った。航と2人きりになった朱莉は尋ねた。「ねえ航君。ところでこの大きな荷物は一体何?」「はあ? 見れば分かるだろう? 沖縄に滞在するまでの俺の着替えとかが入ってるんだよ」すっかり航は年上の朱莉に対してぞんざいな口を利くようになっている。「え? 着替え? さっきのビジネスホテルにずっと泊まるんじゃなかったの?」「あのなあ……こちらは限られた予算で動いているんだ。そんな無駄なこと出来るはずは無いだろう? ネットカフェに泊るんだよ。こんなに暑くなければキャンプ場でテント張って寝泊まりするんだけどな……」航は遠くを見るような眼つきになる。「ええ!? そうだったの……? ひょっとしていつもそうやって遠方での調査はネットカフェに泊まっていたの?」朱莉はあまりの話に驚いた。「いや、こんなことは初めてだ。何せ場所が沖縄だもんな。それじゃ俺はもう行くよ。これからネットカフェを探さないといけないから。じゃあな」そう言っ
「ほ、本当にこんなすごい部屋に住んでたのか……!?」航は部屋に入るなり、驚きの声を上げた。「うん……。そうなんだ。だから言ったでしょう? 部屋は広いし、一部屋余ってるから3週間の間、ここに住めばって言ったの分かった?」朱莉は航の背後から声をかけた。「だけど……本当にいいのかよ」突如航が真剣な顔で朱莉を見る。「え? 何がいいって?」「だって……仮にも俺は男であんたは女だ。他人同士の男女が1つ屋根の下に住むなんて世間的に見たらおかしいだろう?」「う~ん……確かに。でも私は誰も知り合いがいないから、何か聞かれることも無いんだけどな…」「い、いや。俺が言ってるのはそういう意味じゃなくて……」「あ、それじゃもしコンシェルジュの人に何か聞かれたら……私の年下のいとこってことにすればいいんじゃない?」朱莉はポンと手を叩く。「へ……? いとこ……? だ、だから俺が言いたいのは……」そこまで言いかけた時、航の足元に何かが飛びついてきた。「うわああああ!?」突然の出来事に航が驚いて下を見ると、足元にはネイビーがいた。「へ……? う、うさぎ……?」「ネイビー。おいで」朱莉はネイビーを抱き上げると航に説明した。「このこはネイビーって言う私の大切なペットなの。これからよろしくね。航君」「あ、ああ……よ、よろしく……」航は呆然としながら言った。そして心の中で思う。もう、どうにでもなれ――と。****「それじゃ、俺はこれから調査に向わないといけないから」航はカメラやら小型PCなどを取り出し、リュックに詰めた。「大変だね、到着して早々に仕事なんて」朱莉はその様子を見ながら声をかける。「仕方ないさ。こっちはギリギリの日程で動いているんだ。休んでる暇なんてないさ」そんな様子の航を見ながら朱莉は思った。(何だか、大変そうだな……。そうだ)「航君、車で送ろうか?」「は……はあ!? な、何言ってるんだよ! そんな事無理に決まってるだろう!?」航は大声で反論した。「え? 無理なの?」「当り前だ! 個人保護法に乗っ取って、俺達は仕事してるんだ。関係無い人間を現場に連れて行けるはずが無いだろう?」「そっか……言われてみればそうだったね。ごめね、航君」「べ、別に謝ることじゃないだろう?」(全く……朱莉って女がこんな天然な性格をしているとは
航が玄関を出て行くのを見届けた朱莉は足元にいたネイビーを抱きかかえた。「ネイビー。誰かに行ってらっしゃいって言えることって何だか嬉しいね」考えてみれば朱莉は母が入院生活に入ってからは何年もの間、1人で暮していた。父の死と会社の倒産、そして高校中退という環境は朱莉から友人を奪ってゆき、代わりに孤独を与えたのだ。でも、誰かが側にいて一緒に暮らす……このことを考えるだけで朱莉の心は楽しくなった。ここは広々とした大きな部屋。必要な物は何でも揃っているが朱莉が本当に欲しいものは手に入ることは無かった。孤独な生活から抜け出したいとこんなにも自分が望んでいたとは今迄思ってもいなかった。「航君……カレー好きかな?」朱莉はネイビーの背中を撫でながら、そっと呟くのだった——**** 19時過ぎ—― 朱莉の部屋のインターホンが鳴った。カメラを確認するとそこに立っていたのは疲れ切った顔をした航であった。「航君? 待ってね。今ドアを開けるから」朱莉はボタンを操作すると、航の立っているホールの自動ドアが開いた。「……スゲー設備」ボソッと航は呟くと、重たい足を引きずって中へと入って行った――5階の朱莉の部屋の前に付くと、航は再度インターホンを押す。するとすぐにドアが開けられた。「お帰りさない、航君」そこには満面の笑顔の朱莉が立っていた。「な、な、なんでそんな笑ってるんだよ……」航は後ずさりながら尋ねると朱莉の頬が赤く染まる。(え……? 朱莉……?)航は一瞬ドキリとした、次の瞬間。朱莉が口を開いた。「あ、あのね……。私ずっと1人暮らしが長かったから……誰かに『お帰りなさい』って言ってみたかったの。ありがとう、航君」満面の笑顔で微笑まれ、航は戸惑ってしまった。まさか、たったこれだけのことで朱莉がこんなに幸せそうな笑顔を見せるとは思わなかった。そして、それと同時にフツフツと翔に対して怒りが込み上げて来るのも事実だった。(くそ! あの翔とか言う男め。いくら大企業の副社長だからと言って非人道的なことしやがって……!)航は思わず拳をギュッと握りしめた。そんな様子の航を見ながら朱莉が声をかけた。「航君、疲れてるみたいだね? そうだ! ご飯の前に先にお風呂に入る? あのね、ここのマンションのお風呂にはジェットバスやミストサウナがついてるの。試してみたら?」
京極に連れられてやってきたのは国際通りにあるソーキそば屋だった。「一度朱莉さんとソーキそばをご一緒したかったんですよ」京極が運ばれて来たソーキそばを見て、嬉しそうに言った。このソーキそばにはソーキ肉が3枚も入っており、ボリュームも満点だ。「はい。とても美味しそうですね」朱莉もソーキそばを見ながら言った。そしてふと航の顔が思い出された。(きっと航君も大喜びで食べそうだな……。私にはちょっとお肉の量が多いけど、航君だったらお肉分けてあげられたのに)朱莉はチラリと目の前に座る京極を見た。とても京極には航の様にお肉を分ける等と言う真似は出来そうにない。すると、京極は朱莉の視線に気づいたのか声をかけて来た。「朱莉さん、どうしましたか?」「い、いえ。何でもありません」朱莉は慌てて、箸を付けようとした時に京極が言った。「朱莉さん、もしかするとお肉の量が多いですか……?」「え……? 何故そのことを?」朱莉は顔を上げた。「朱莉さんの様子を見て、何となくそう思ったんです。確かに女性には少し量が多いかも知れませんね。実は僕はお肉が大好きなんです。良ければ僕に分けて頂けますか?」そしてニッコリと微笑んだ。「は、はい。あ、お箸……まだ手をつけていないので、使わせて頂きますね」朱莉は肉を摘まんで京極の丼に入れた。その途端、何故か自分がかなり恥ずかしいことをしてしまったのではないかと思い、顔が真っ赤になってしまった。「朱莉さん? どうしましたか?」朱莉の顔が真っ赤になったのを見て、京極が声を掛けて来た。「い、いえ。何だか大の大人が子供の様な真似をしてしまったようで恥ずかしくなってしまったんです」すると京極が言った。「ハハハ…やっぱり朱莉さんは可愛らしい方ですね。僕は貴女のそう言う所が好きですよ」朱莉はその言葉を聞いて目を丸くした。(え…?い、今…私の事を好きって言ったの?で、でもきっと違う意味で言ってるのよね?)だから、朱莉は敢えてそれには何も触れず、黙ってソーキそばを口に運んだ。 肉のうまみがスープに馴染み、麺に味が絡んでとても美味しかった。「このソーキそばとても美味しいですね」「ええ、そうなんです。この店は国際通りでもかなり有名な店なんですよ。それで朱莉さん。この後どうしましょうか?もしよろしければ何処かへ行きませんか?」「え?」
「え……? プレゼントと急に言われても受け取る訳には……」しかし、京極は譲らない。「いいえ、朱莉さん。貴女の為に選んだんです。お願いです、どうか受け取って下さい」その目は真剣だった。朱莉もここまで強く言われれば、受け取らざるを得ない。(一体突然どうしたんだろう……?)「分かりました……プレゼント、どうもありがとうございます」朱莉は不思議に思いながらも帽子をかぶり、京極の方を向いた。すると京極は嬉しそうに言う。「ああ、思った通り良く似合っていますよ。さて、朱莉さん。それでは駐車場へ行きましょう」京極に促されて、朱莉は先に立って駐車場へと向かった。駐車場へ着き、朱莉の車に乗り込む時、京極が何故か辺りをキョロキョロと見渡している。「京極さん? どうしましたか?」すると京極は朱莉に笑いかけた。「いえ、何でもありません。それでは僕が運転しますから朱莉さんは助手席に乗って下さい」何故か急かすような言い方をする京極に朱莉は不思議に思いつつも車に乗り込むと、京極もすぐに運転席に座り、ベルトを締めた。「何処かで一緒にお昼でも食べましょう」そして京極は朱莉の返事も待たずにハンドルを握るとアクセルを踏んだ——「あの、京極さん」「はい。何ですか?」「空港で何かありましたか?」「何故そう思うのですか?」京極がたずねてきた。(まただ……京極さんはいつも質問しても、逆に質問で返してくる……)朱莉が黙ってしまったのを見て京極は謝った。「すみません。こういう話し方……僕の癖なんです。昔から僕の周囲は敵ばかりだったので、人をすぐに信用することが出来ず、こんな話し方ばかりするようになってしまいました。朱莉さんとは普通に会話がしたいと思っているのに。反省しています」「京極さん……」(周囲は敵ばかりだったなんて……今迄どういう生き方をして来た人なんだろう……)「朱莉さん。先程の話の続きですけど……。実は僕は今ある女性からストーカー行為を受けているんですよ」京極の突然の話に朱莉は驚いた。「え? ええ!? ストーカーですか!?」「そうなんです。それでほとぼりが冷めるまで東京から逃げて来たのに……」京極は溜息をついた。「ま……まさか京極さんがストーカー被害だなんて……驚きです」(ひょっとして……ストーカー女性って姫宮さん……?)思わず朱莉は一瞬翔の
「安西君…行きましたね」航の背中が見えなくなると京極が朱莉に話しかけてきた。「そうですね。……京極さん。昨夜……航君と何を話したんですか?」「航君は朱莉さんに昨夜のことを話しましたか?」「いいえ」「それなら僕の口からもお話することが出来ません。今はまだ。でも……必ず、いつかお話します。それまで待っていて下さいね」「……」(また……いつもの京極さんの口癖…)「京極さんは何故空港に来たのですか?」朱莉は俯くと別の質問をした。「安西君を見送りに来た……と言ったら?」「!」驚いて京極を見上げると、そこには笑みを浮かべた京極の顔があった。「そんな驚いた顔をしないで下さい。ここへ来たのは朱莉さん、貴女がきっとここに来ると思ったからです」「え?」「僕は朱莉さんに会いたかったから、ここに来ました。すみません。こんな方法を取って……。こうでもしなければ会ってはくれないかと思ったので」京極は頭を下げてきた。「京極さん。航君が突然東京へ帰ることになったのは、京極さんが航君のお父さんに仕事を依頼したからですよね?」朱莉が尋ねると京極は怪訝そうな顔を浮かべる。「もしかして……安西君が言ったのですか?」朱莉が黙っていると京極は溜息をついた。「彼は仕事内容を朱莉さんに告げたんですね? 顧客の依頼を第三者に打ち明けてしまった……。安西君は調査員のプロだと思っていたのに……」そこで朱莉は、アッと思った。(そうだ……! 依頼主の話は絶対に関係無い相手には話してはいけないことだって以前から航君が言っていたのに……私はそれを忘れて、京極さんに話してしまうなんて……!)「お、お願いです! 京極さん。どうかこのことは絶対に航君や……航君のお父さんに言わないで下さい! お願いします! 普段の航君なら絶対に情報を誰かに漏らすなんてことはしない人です。ただ、今回は……」気が付くと、朱莉は目に涙を浮かべ、京極の腕を振るえながら掴んでいた。「前から言ってますよね? 僕は朱莉さんの言葉ならどんなことだって信じるって。例えそれが嘘だとしても信じます。だって貴女は私利私欲の為だけに誰かを利用したり、嘘をついたりするような人では無いから」「京極さん……」「確かに、僕は今回安西弘樹興信所に企業調査の依頼をしました。ですが、それは朱莉さんが考えているような理由じゃありません
11時半—— 朱莉と航は那覇空港へと戻って来ていた。朱莉は先ほどの『瀬長島ウミカジテラス』が余程気に入ったのか、航に感想を述べている。「本当にびっくりしちゃったよ。まさかあんな素敵なリゾート感たっぷりの場所があるなんて。まるで何処かの外国みたいに感じちゃった」「そうか、そんなに朱莉はあの場所が気に入ったのか。それならまた行ってみたらいいじゃないか」航の言葉で、途端に朱莉の顔が曇った。「うん……そうなんだけど……。でも、私1人では楽しくないよ。航君と一緒だったからあんなにも素敵な場所に見えたんだよ」「朱莉……」朱莉の言葉に、もう航は感情をこれ以上押さえておくことが出来なかった。(もう駄目だ……!)気付けば、航は朱莉の腕を掴み、自分の方へ引き寄せると強く朱莉を抱きしめていた。(朱莉……! 俺は……お前が好きだ……離れたくない!)航は朱莉の髪に自分の顔を埋め、より一層朱莉を強く抱きしめた。「わ、航君!?」位置方、驚いたのは朱莉の方だった。航に腕を掴まれたと思った途端、気付けば航に抱きしめられていたからだ。慌てて離れようとした瞬間、航の身体が震えていることに気が付いた。(航君……もしかして泣いてるの……?)——その時。「何をしているんですか?」背後で冷たい声が聞こえた。航は慌てて朱莉を引き剥がすと振り向いた。するとそこに立っていたのは——「京極……」京極は冷たい視線で航を見ている。「安西君。君は今朱莉さんに何をしていたんだい?」「……」(まさか……こいつが空港に来ていたなんて……!)航はぐっと拳を握った。その時、朱莉が声を上げた。「わ、別れを! 別れを……2人で惜しんでいたんです……。そうだよね、航君?」朱莉は航を振り返った。「あ、ああ……。そうだ」「別れ……? でも僕の目には航君が一方的に朱莉さんを抱きしめているようにも見えましたけど?」「そ、それは……」思わず言葉が詰まる航に朱莉が素早く反応する。「そんなことありません!」「朱莉……?」「朱莉さん……」朱莉の様子を2人の男が驚いた様に見た。丁度その時、航の乗る飛行機の搭乗案内のアナウンスが流れた。「あ……」航はそのアナウンスを聞いて、悲し気に言った。「朱莉。俺、もう行かないと……」「う、うん……」すると京極が笑みを浮かべる。「大丈夫ですよ、
「朱莉、おはよう!」航は笑顔で元気よく朱莉に朝の挨拶をした。8時に起きた航がキッチンに行くと、そこにはもう朱莉が朝食の用意をして待っていたのだ。「おはよう、航君」朱莉も笑顔で挨拶する。「朱莉、今朝の朝飯は和食か?」航がテーブルに座ると尋ねた「うん。そうだよ」朱莉は、ご飯に味噌汁、焼き鮭、青菜の煮びたし、だし巻き卵をテーブルに並べた。「へえ~どれもうまそうだな」「ありがとう、それじゃ食べよう?」そして2人でいつもと同じように向かい合わせで食事を始めた。「うん、やっぱり朱莉の作った飯はうまいな」航は笑顔で言いつつも、心の中は暗く沈んでいた。(もう……こうやって朱莉の手作り料理を食べることも無くなるんだな……)すると、そんな航の気持ちを汲み取ったのか朱莉が言った。「あ、あのね……航君さえ良かったら、東京に戻っても時々は私の住む部屋に遊びにきてくれれば、食事位用意するけど……?」「朱莉……」航はその言葉を聞けて、自分でも驚く位感動してしまった。だが……。「朱莉……。気持ちは嬉しいけど……多分それは無理だろう……?」「え? どうして?」朱莉は顔を上げた。「どうしてって……。だって次に朱莉が東京に戻れば赤ん坊との生活が始まるわけだろう? そんな子育てで忙しい時に……俺が訪ねるわけにはいかないだろう……?」航は茶碗と箸を持ちながらポツリと呟いた。「あ……」朱莉もそのことを指摘されて気付いた。(そうだ……私は明日香さんの赤ちゃんをこれから24時間見守っていかないといけない。しかも自分の赤ちゃんじゃないから翔先輩と明日香さんの大切な赤ちゃんを預かる訳だから、より一層神経を使って育てて行かなくちゃならないんだ……)「そ、そうだったね。確かに航君の言う通り難しいかも……」すっかり元気を無くしてしまった朱莉を見て、航は慌てた。「あ、で、でも朱莉! 子育てが落ち着いて……そして5年後、鳴海翔との離婚が成立すれば、その時は俺が……!」言いかけて、航は口を閉ざした。俺が……? その後自分は何を言おうとしたのだろう? 一瞬昨夜言われた京極との話を忘れかけていた。(そうだ……俺はもう朱莉のことを……諦めなくちゃいけないんだ……)思わず目頭が熱くなりかけ、航は目を腕でゴシゴシと擦った。「航君? どうしたの?」朱莉が不思議そうに首を傾げ
「……うまい言い訳だな」腕組みをしてこちらを睨み付けている航を見て京極は溜息をついた。「どうも君はさっきから僕のことを何か勘違いしているように見えるから、この際はっきり言わせてもらう。いいか? 僕は敵じゃ無い」「敵? 何のことだか」すると京極の態度が変わった。顔つきが険しくなり、声のトーンが低くなった。「いいか? 敵を見誤るな。本当の敵は誰なのか、よく考えてみろ。君が余計な動きをすると今迄立ててきた計画に支障をきたすんだ」「な、何だよ……その計画って言うのは……」航が尋ねると京極が言った。「いいだろう。別に教えてやってもな。その代わり約束して貰う。この話を聞いた後はもう僕のことを嗅ぎまわるのはやめてもらうからな?」そして京極は静かに語り始め……航の顔色が青ざめていった――****「航君、遅いな……」朱莉はリビングで航が帰って来るのを待っていた。壁にかけてある時計を見ると時刻は既に夜中の0時を過ぎている。「戸締りをして先に休んでいるように言われてたけど心配だな……」——ガチャリ丁度その時、玄関のドアが開く男が聞こえた。(航君が帰って来たんだ!)「お帰りなさい、航くん!」朱莉は笑顔で玄関まで迎えに行った。「ええ? まだ起きていたのか?」航はびっくりした様子で朱莉を見つめる。「それで京極さんとの話し合いはどうなったの?」「うん、気になって眠れなくて……それで京極さんとの話はどうなったの?」「ああ、それなら問題ない。大丈夫、解決したんだ。朱莉は何の心配もする必要は無いからな?」航は笑顔で答える。「え? 航君……それは一体どういう意味なの……?」(何だろう? 何だか釈然としない。マンションを出た時の航君と、今の航君は何故か別人のように感じる……)「だから、朱莉。そんなに心配そうな顔するなって。京極はもう朱莉に余計なことは何一つ尋ねないって約束してくれたんだよ。それってつまり朱莉が10月に明日香の産んだ子供を連れて億ションに戻ったとしても京極は何も聞かないってことだとは思わないか? 朱莉が答えられない質問は一切しないと京極が約束したんだ。だから俺もその代わりに京極のことを調べるのはやめると互いに取り決めを交わしたのさ」「航君……?」朱莉は耳を疑った。本当は航は京極に何か脅迫されて、今の台詞を言わされているのではないだろ
航が待ち合わせ場所に着いた時には既に京極の姿がそこにあった。「やあ、安西君。待っていたよ」京極は笑顔で航に笑顔で挨拶をしてきた。「京極……」航は苦々し気に京極の名を呟いたが、京極の耳には届いていた。「また君はそんな口の利き方を……いいかい、僕は君よりも5歳年上なんだよ? もう少し部をわきまえるべきだと思うけどね?」「ああ、普通はそうだろうがな……。だが、あんたは朱莉の敵だ。敵に対して部をわきまえるつもりは俺には無い」「……」京極は黙って航を見つめていたが、やがて言った。「やめておこう。こんな人通りが多い場所で立ち話をするような話の内容でもないし。そうだな、ビーチにでも行ってみるかい?」「あいにく夜に男とビーチに行くような趣味は俺には無いんだよ。朱莉とだったら一緒に行ってもいいけどな?」ニヤリと口角をあげる航。「朱莉……」京極の眉がピクリと動いた。航はわざと京極を挑発するような言い方をしたのだ。「いいだろう、それじゃ航君は話し合いの場は何所なら構わないって言うんだい?」京極は肩をすくめた。「お前となら、その辺のファミレスで十分だ」何所までも喧嘩腰な口調の航。「ファミレスか……。うん、丁度あそこにあるね。よし、行こう」京極が先に立って歩き出したので、航は後に続いた。 2人でファミレスの席に向かい合わせで座り、お互いコーヒーを注文した。そして程なくしてそれぞれの前にコーヒーが運ばれてくると、早速京極が口を開いた。「さて、本題に入らせて貰おうか? 航君、忠告しておく。僕のことを調べるのはやめるんだ。君のような人物に周辺をチョロチョロされるのは、はっきり言って迷惑なんだ。さもなくば……」「さもなくば……どうするんだ? 俺を脅迫するネタでもあるのか?」「別にそういうことはないけどね。ただ、周りを嗅ぎまわられるのは、いい気分はしない。君だって、自分がその立場だったらそう思うだろう?」「自分のことを調べるのはやめろって、つまりお前に何かやましいことがあるからだろう? 第一そっちこそ俺のことを調べているんじゃないのか? そうでもなければ、わざわざうちみたいな小さい興信所に企業調査の依頼なんかしてくるはずがない」「……」京極は黙って航の話を聞いている。「お前は俺が朱莉の側にいるのが邪魔で仕方が無いんだろう? だから朱莉から俺を
「え!? まさか『リベラルテクノロジーコーポレーション』って京極さんの会社の!?」「そうだ……。きっとこれは京極の差し金に違いない! 恐らくアイツは俺が自分のことを調べようと思っているのに感づいたのかもしれない。俺と言う邪魔な存在を排除するために東京へ戻すように企てたんだ……!」「航君……」「朱莉、すまない!」航はソファから降りると朱莉に突然土下座をしてきた。「ま、待って。航君、そんな真似しないで。だって航君は何も悪いことしていないじゃない」朱莉は慌てて航の側へ行くと肩に手を置いた。航は朱莉の顔を見つめた。「いや、やはり俺のせいなんだ。俺が……京極の前で興信所の調査員だと身元を明かしたからあいつは俺のことを調べたんだ。絶対そうに決まっている」「航君……」その時、朱莉のスマホが鳴った。朱莉はテーブルの上に置いてたままのスマホに手を伸ばしたが……着信相手を見て固まってしまった。相手は京極だったのだ。「朱莉、俺にそのスマホ貸せ!」朱莉が頷くと、航は自ら朱莉のスマホをタップした。「もしもし……」なるべく怒気を押さえて話すが、京極に対する怒りがどうしても抑えられない。『ああ……安西君でしたか。こんばんは』妙に落ち着いた声が受話器越しから聞こえてきた。「京極さん……俺が朱莉の電話に出たのに随分落ち着いていらっしゃいますね?」『そうかな? もし、そう感じられるのであれば安西君、君に何か心当たりがあるからでは無いですか?』「何!?」「わ、航君……」朱莉が航の剣幕に困惑している。「京極さん、俺は明日東京へ帰らなくてはならなくなりましたよ」『そうですか。それはまた急ですね。飛行機のチケットは取れそうですか?』「いいえ、あまりにも突然の話だったのでこれから手配しなくてはならなくて大変ですよ。もしかすると飛行機の席をとれないかもしれませんね」お互い、冷静な口調で話してはいるが、そこにはまるで火花が飛散っているように朱莉には感じた。『それなら大丈夫。僕が羽田行のチケットを押さえてあるから』京極の言葉に航は衝撃を受けた。「何だって……!?」航は初めて、そこで怒りを露わにした。『それで航君、君に飛行機のチケットを渡したいのでこれから会えませんかね?』「それは丁度良かった。俺もあんたに会いたいと思っていたんでね」もう航は京極に対して
その日の夜―― 食事も風呂も終えた航は明日から京極のことを調べる為の下準備をしていた所、突如スマホが鳴った。その相手は父からだった。「げっ! と……父さんからだ……」航は髪をクシャリと書き上げ、露骨に嫌そうな顔をした。「え? 安西先生から?」食器洗いをしていた朱莉が振り向いた。「ああ。今迄はメールばかりだったのに何だってこんな急に電話なんか掛けてきて。何だか嫌な予感がするな……」「でも出た方がいいよ? 急用かもしれないし」「そうだな……。仕方ない……」航が頷くのを見届けると朱莉は再び食器洗いを始めた。航はスマホをタップすると電話に出た。「もしもし……」『航か。今までの報告書は全て目を通した。ご苦労だったな』「ああ、別にこれ位は大したことじゃない。後、残りの証拠は……」『その件ならもういいんだ。依頼主も納得してくれたから、航。お前明日東京に帰って来い』父親の突然の話に航は驚いた。「はあ!? 何だよ! 急にそんなこと言われても、まだこっちでやることが残ってるんだよ!」『いや、もうこれで今回の仕事は終わりだ』「何だよ、それ……。折角沖縄まで来て、ことが片付いたらすぐに戻れなんて……」その言葉が朱莉の耳にも届いた。(え? 航君……ひょっとして東京に戻っちゃうの?)朱莉は動揺した。リビングではまだ航と父との会話が続いている。『まあ本来なら2日位は休みを与えてやりたいところだが、至急の依頼が入ったんだよ。どうしても手が足りないから航、お前に戻って来て欲しいんだ。お前に調査をして貰わなければならなくなったんだよ』「一体、今度はどんな調査なんだよ。どうせ浮気調査なんだろう? だったら……」『いや、今回は浮気調査じゃない』「へえ……珍しいな。それじゃ何の調査なんだ?」『企業調査だ。ある企業からの依頼で今度新規に取引をする企業があるらしいのだが、そこが信用に値するかどうか調べて欲しいらしい。業績や経営状態、営業内容の把握……それらを調べて貰いたいそうだ」「ふ~ん……。成程……っておい! 俺はまだ引き受けるとは……!」『依頼相手はIT業界で注目を浴びている企業なんだ。『リベラルテクノロジーコーポレーション』という会社だ。航、お前この企業知ってるか?」「な、なんだって!? 『リベラルテクノロジーコーポレーション』だって!?」航は